第31弾~
佐賀の風景動画 

ドローンを使って撮影しています。空から見た佐賀の素晴らしさ、新しい気づきなど、気づかなかった佐賀のよさをみんなで感じ取れたらうれしいです。
 

佐賀の風景 第31弾 『シチメンソウ』(佐賀市東与賀町) 

晩秋の有明海沿岸を真っ赤に染め上げるシチメンソウは、高さは2040cmのアカザ科の一年草です。葉っぱがこん棒状に枝分かれして伸びた独特の形で、満潮時に潮をかぶり干潮時には干潟になる環境で生育する貴重な「塩生植物」です。色変わりするのはシチメンソウの特徴で、かつて有明海をご訪問された昭和天皇もその特異な性質と美しい紅紫色に大変興味を示されたとのことです。ちなみに、シチメンソウという名前は漢字で書くと、「七面草」。まるで山々の紅葉のように色づく様は有明海の風物詩として知られています。東与賀海岸の堤防からシチメンソウの群生は良く観察できます。(あそぼうさがのHPより引用)



佐賀の風景 第32弾 『北山ダムと北山湖』(佐賀市富士町・三瀬村)
北山ダムは、佐賀県内では初めて建設されたコンクリートダムで、佐賀平野へのかんがい水力発電を目的にした治水洪水調節)目的を持たない多目的ダムである。2011(平成23年)に直下流に嘉瀬川ダム が完成するまでは、佐賀県最大規模のダムでした。ダムによって形成された人造湖北山湖(きたやまこ)または北山貯水池(ほくざんちょすいち)と呼ばれ、佐賀県民のみならず福岡県民などから多くの人の憩いの場所になっている。

北山ダムは1950(昭和25年)から建設に着手され、1956(昭和31年)に完成している。ダム建設に伴い富士町と三瀬村の住民が移転を余儀なくされ、北山湖の貯水が極端に少なくなった際には、沈んだ村の一部の建物などを見ることができます。




佐賀の風景 第33弾『雄淵・雌淵渓谷と紅葉』(佐賀市富士町)

古湯温泉と熊の川温泉の中間地点に位置する、美しい奇石の渓谷が、雄淵・雌淵渓谷です。駐車場から階段で下りていくと、見えてくるのが巨大な一枚岩の上を流れ落ちているエメラルドグリーンの水。四季折々の変化に富んだすばらしい自然景観の中、大小の奇石が折り重なるように連なっています。雄淵は、その昔イカダ流しの難所と恐れられ、何とも神秘的な雰囲気を漂わせている水面下の洞窟は、いまだかつて誰も入ったことがないと言われる秘境です。一方雌淵は、今では砂が堆積して砂州ができてしまっています。近くには、日中友好に多大の貢献を残した中国の文学者、郭沫若(かくまつじゃく)が、故郷の四川省に似ていると頻繁に訪れたことから、彼の記念碑が建てられています。また、景色の美しさを引き立てる朱塗りの鳴瀬橋は一見の価値があります。(あそぼ~さがHPより転載)


佐賀の風景 第34弾『肥前国庁跡』(佐賀市大和町)

肥前国庁跡は、今からおよそ1300年前、奈良時代後半から平安時代前期にかけて、古代肥前国(現在の佐賀県・長崎県)の中心となった役所跡です。現在で言えば、県庁の役割をもった役所です。  当時、古代日本は、大和(奈良県)を中心に、全国を60ほどの国に分け、それぞれに国庁を置き、税を集めたり、法律や都からの命令を守らせたりするなどの仕事をしていました。 国庁の全容がわかっているの遺跡は全国でも数カ所しかなく、また近くには国分寺や国分尼寺などもあり、古代の地方都市、行政のありかたを知る上で貴重な遺跡です。 (肥前国庁資料館パンフレットより引用)


佐賀の風景 第35弾 『西渓公園の紅葉』(多久市)

自然美と人工美が調和した西渓公園は江戸時代、多久領女山多久家(家老職)の屋敷跡でし た。大正12年に東原庠舎で学んだ実業家高取伊好(たかとりこれよし)氏が巨額の私財を投じて建設整備し、当時の多久村に寄贈したものです。高取伊好の号 を「西渓」と称していたためこの名をとり西渓公園と名づけられました。春の梅に始まり、約400本の桜、つつじ、秋にはもえるような紅葉約180本が公園をつつみ、1年中自然の変化が楽しめます。(多久市のHPより引用)


佐賀の風景 第36弾 『環境芸術の森と紅葉』(唐津市厳木町)

環境境芸術の森は唐津市厳木町作礼山南西斜面に位置する約30haの私有林に「昔の森を取り戻す」「昔の川を取り戻す」「昔の海を取り戻す」という願いを込め、風のふる里厳木に作礼山中腹をキャンパスとして、石・土・木を植付け紅葉の森が生まれました。 人が手を加えることで森の美しさを守りたいと願いを込め「環境芸術の森」と名付けられました。 森づくりの歩みは、1980年12月、当時17歳の次男を原因不明の病でなくし、食べ物と環境問題について考え始め、 「最終的に人間に必要なのは、きれいな空気、それを作り出すのは森である」 「木を植えて、水や空気をきれいにすれば、土も川も海も活力をつけて、私たちを守ってくれるだろう。」 この思いが、森づくりへの第一歩ということです。 「森づくりは人づくりから」を心に念じ、山林、原野を昔の森に再生するため 山野を買い、環境芸術の森の完成を目指され、人が生きるために、自然の偉大さを感じながら、長い年月をかけて 自然を蘇らせ、紅葉の森づくりに努めてこられました。 秋の紅葉をはじめ、雪をまとった木々たち、新緑の頃、年間を通し、自然を感じ、生命力を感じさせてくれる場所です。(環境芸術の森のHPから引用)

佐賀の風景 第37弾 夜間係留「ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン」in 嘉瀬小

令和3年12月11日 5つのバルーンチームの協力をいただき、バルーンのふるさと嘉瀬小のグランドで、30分の夜間係留が行われました。  嘉瀬小のボランティア委員会では、毎年空き缶を集めて、病院や老人ホームなどに車いすの寄贈を行っています。今年は、委員会の発案で、新型コロナで、みんなの命を守ってくださっている医療従事者の方々への感謝をこめ、本校の校区に県立好生館があり、入院されている方にも見ていただき、元気を出していただこうと企画し、5つのバルーンチーム、地域の方、消防団、PTAの協力をいただき開催されたということです。歌は、昨年度の卒業生と徳丸英器さんに作っていただいた「かせのたからもの」という曲です。素敵な曲にのせて、少し長い動画ですが見てください。


佐賀の風景 第38弾 「築地(ついじ)反射炉」 (佐賀市)
築地反射炉は佐賀藩10代藩主、鍋島直正がつくらせた日本初の実用反射炉です。反射炉とは、燃料の熱を壁や天井の面で反射させて炉内の温度を上げ、鉄や銅などの金属を溶かす溶解炉であり、その完成により、日本でも鉄製大砲の鋳造が可能となりました。はじめは鉄の溶解がうまくいかず失敗続きでしたが、直正が育てた蘭学者たちの新しい知識、刀工や鋳物師らの伝統技術を結集した結果、嘉永5年(1852)5月には良好な溶鉄が得られるようになり、日本で最初に反射炉で鉄製大砲を鋳造した意義は大きく、日本の近代産業化へのシンボルとも呼べるものです。(佐賀市のHPより)


佐賀の風景 第39弾 「牛尾梅林」 (小城市)
2月から3月初めにかけて、牛尾の小高い山全体に梅の花が咲きそろいます。牛尾神社は今から1200年以上前の平安時代(796年)の創建とされています。梅の枝をメジロが飛び交い、春本番を感じました。


佐賀の風景 第40弾 「桜~旧佐賀線 南佐賀駅~
旧佐賀線 現在はサイクリングロードです。南佐賀駅から諸冨まで桜並木が続きます。桜満開の中を、ミニSLが走ってくれれば最高です。