第21弾~
佐賀の風景動画 

ドローンを使って撮影しています。空から見た佐賀の素晴らしさ、新しい気づきなど、気づかなかった佐賀のよさをみんなで感じ取れたらうれしいです。一部、飛行許可がおりなかった所については、ドローン撮影がありません。ご了解ください。

佐賀の風景 第21弾 町切の水車(唐津市相知町)

唐津市相知(おうち)町の町切(ちょうぎり)地区の水田用水路には、春から秋にかけて揚水(ようすい)水車が回ります。
 厳木川の左岸の東川地区では、厳木川より高台にあるため水田を切り開くことはできず、コウゾやクワなどを栽培していた。400年前、この地の人々は厳木川から取水する町切堰を築き、町切用水をつくり、その用水路に揚水水車を設置して水田に水を汲み上げ、念願の米作りができるようになった。
 揚水水車とは、低い土地を流れる川の水を高い土地にある耕作地に供給するための機械である。川の流れが、水車の羽根板を押し、その力で水車が回転し、水車の外輪につけられたひしゃくが川の水を汲み揚げ、頂点に達すると樋に排水し、水田へ水を送り潤す。
 現在の揚水水車は復元されたものだが、先人が築きあげた生活の知恵、技術は、今でも水田に絶えることなく命の水を送り続けています。




佐賀の風景 第22弾『泉山磁石場(国指定史跡)』(有田町)

 16世紀末(豊臣秀吉の時代)の文禄・慶長の役の際、日本へ多くの陶工と職人が連れてこられました。その中に朝鮮人陶工の李参平らがいました。李参平(日本名:金ケ江三兵衛)らにより、この泉山で磁器の原料である良質で豊富な陶石が発見されました。当時の有田皿山は、内山、外山、大外山に区分され、石場(当時は土場と表記)の陶石の使用も区別されていました。中でも、大川内山にあった御用窯(鍋島藩窯)で使用するものは御用土と呼ばれ、最高級の原料を使って製造されていました。泉山磁石場は、国内諸大名などの賞賛を浴び、欧州各地の人々を魅了した有田焼400年の歴史を支え続け、昭和55年に国の史跡(一部)に指定されました。 その後、今日まで磁器の原料を掘り続けた結果、一つの山が無くなり、現在の状態になっています。昔は現代にあるような機械はなかったので、すべて手掘りで採掘を行っていました。現在、ここでの採掘は、ほとんどなくなり、より使いやすい熊本県・天草の陶石などを使って、有田焼は作られています。




佐賀の風景 第23弾『肥前 名護屋城(国の特別史跡)』(唐津市)

名護屋城は16世紀末、豊臣秀吉が勢力を海外に拡大しようと朝鮮に向け出兵した文禄・慶長の役に際して、その拠点として築かれた城です。1592(文禄元)年の開戦から秀吉の死で諸大名が撤退するまで、7年の間大陸侵攻の拠点となりました。城の面積は約17ヘクタールにおよび、当時では大坂城に次ぐ規模を誇りました。名護屋城の周囲丘陵には、我が国の歴史をつくっていった徳川家康 伊達政宗 加藤清正 石田三成 前田利家、福島正則、鍋島直茂など、130以上(160とも言われる)に上る諸大名の陣屋が築かれ、全国から20万人を超える人々が、ここ肥前の小さな町に集ったとされています。現在、名護屋城跡と23箇所の陣跡が国の特別史跡に指定されています。

「文禄・慶長の役」の拠点として秀吉も1年あまり在陣しました。築城は1591(天正19)年に始まり、諸大名による割普請(わりぶしん)によってわずか数ヶ月で完成したといわれています。肥前名護屋城図屏風から、天守台には、かつては五層七階の天守閣(てんしゅかく)が建っていました。本丸御殿の発掘調査では、礎石(そせき)(建物の基礎となる石)や玉石敷(たまいしじき)が確認されています。秀吉の死とともに、参集した大名たちも領地へ戻り、江戸時代の初期に、名護屋は破却(はきゃく)されたと考えられ、石垣が広範囲にわたって崩されています。建物は現存していませんが、発掘調査を行い、建物の遺構や出土遺物について研究が進められています。山里丸の発掘調査では、秀吉が好んだお茶、その"草庵茶室跡"も見つかっています。
撮影については、唐津市役所 鎮西支所の許可をいただいています。




佐賀の風景 第24弾『堀 秀治陣跡(国の特別史跡)』(唐津市)

堀秀治陣屋跡は、国の特別史跡の指定を受けている23史跡のひとつであります。

この陣の主である堀秀治は、その当時越前北ノ庄(今の福井県福井市)を領地とする約18万石の城主で、文禄・慶長の役には、6,000人の兵を率いて、開戦当時16歳の若さで参陣しました。しかし、秀治自身は渡海せず、戦いの間この陣で生活しました。

全国から参集した諸大名は九州中心の西国勢が、朝鮮半島へ出陣した大名を渡海衆、名護屋城を守備する東国中心の大名を在陣衆と呼んでいましたが、堀秀治は在陣衆のひとりであります。 秀治の父である堀秀政は、早くから豊臣秀吉に仕え、その信頼も厚かったためか、子である秀治のこの陣は、本城から近く面積も11haと大規模なものです。陣は大きく分けて6つの曲輪(平らに造成した陣の一区画)で構成されており、建物は御殿のほか能舞台の跡、茶室が確認され、遺構の残りも良好で、文禄・慶長の役に参陣した武将たちの生活ぶりを今に伝えています。文禄・慶長の役後、秀治は越前春日山(今の新潟県上越市)45万石に移され、31歳で没しました。その後、堀家は、秀治の子忠俊の代で改易となりました。




佐賀の風景 第25弾『八幡岳のオオキツネノカミソリ』(唐津市・武雄市・多久市・伊万里市)

オオキツネノカミソリは、7月から8月にかけて咲く、ヒガンバナ科の多年草です。分類上は、キツネノカミソリの変種とされています。 名前の由来は、葉の形が剃刀(かみそり)の形に似ていることから名付けられ、花の色を狐(きつね)に見立てています。ヒガンバナと同じように、花の咲くころには葉はなく、茎が伸びて花だけが咲き、高さは40センチほどです。福岡県糸島市の井原山や多良岳山系が群生地として有名です。武雄や唐津など4市にまたがる八幡岳(標高764メートル)の山頂付近にもオオキツネノカミソリが自生し群生しています。林内に奥まで山の斜面に群生したオオキツネノカミソリのオレンジ色の花々が深緑に映え、木陰に吹く心地よい風が、暑さを忘れさせてくれます。




佐賀の風景 第26弾『唐津 虹の松原(国の特別名勝)』(唐津市)

虹の松原は、玄界灘に面した唐津湾の海岸線に伸びる長さ約4km、幅約400700mの松林です。虹の松原の南側に位置する鏡山からは、松原を眼下に一望でき、唐津湾に浮かぶ大小の島々を遠望することができます。

虹の松原は、約400年前、唐津の初代藩主寺沢広高が潮風から田畑を守るために海岸線の砂丘にクロマツの植樹を命じたのが始まりとされています。
 昭和30年には日本の松原で唯一、国の特別名勝に指定され、静岡県の三保(みほ)の松原、福井県の気比(けひ)の松原とともに「日本の三大松原」といわれています。
 

小型無人機(ドローン)を飛行させ撮影するにあたり、佐賀森林管理署への入林届、許可を得て撮影しています。




佐賀の風景 第27弾 『有田 天狗谷窯跡(国史跡)』(西松浦郡有田町)

天狗谷窯跡は有田焼の創業期を代表する17世紀(江戸時代前期)に操業された磁器窯です。有田焼の陶祖とされる李参平ゆかりの窯とも言われています。過去の発掘調査から、天狗谷窯跡の操業期間は、30年~40年くらいだとされています。

発掘調査は196568年度と1970年度、19992001年度にかけて有田町教育委員会が行っています。窯は山の斜面を利用した登り窯で、幅が38m、長さは50メートル以上もあったものと思われます。泉山磁石場、有田歴史民俗資料館、そして天狗谷窯跡をセットにして散策されてはいかがでしょうか。

動画の遺跡調査の写真は、昭和47年 有田町教育委員会発行『有田天狗谷古窯 白川天狗谷古窯址発掘調査報告書』より転載しております。転載するにあたり、有田町教育委員会より許可をいただき掲載しております。


佐賀の風景 第28弾 『吉野ヶ里歴史公園~吉野ヶ里遺跡~』<国の特別史跡>(神埼市、吉野ヶ里町)
脊振山地から南の張り出す舌状の台地の上に吉野ヶ里遺跡はあります。ここに佐賀県の工業団地を造る計画が持ち上がる中、遺跡の価値が改めて認識され、昭和61年から本格的な文化財の発掘調査が行われました。その結果、我が国弥生時代最大規模の環壕集落であることが確認され、また魏志倭人伝に記された邪馬台国の様子を彷彿とさせる建物跡などが発見されたことにより、一躍全国の注目を集めました。  平成4年に国営吉野ヶ里歴史公園として整備することが決定され、さらに国営公園区域の周辺に佐賀県の公園区域を設け、国と県が一体となった歴史公園として、平成13年4月からその一部が開園されました。  歴史公園「環壕集落ゾーン」には、最盛期だった3世紀後半の吉野ヶ里遺跡の巨大環壕集落が復元され、祭祀をおこなった北内郭、その時代、ムラを治めた王の墓、南内郭には、弥生時代の日本の様子が記された中国の史書 魏志倭人伝の邪馬台国の記述にある「宮室、楼観、城柵厳かに設け」に合致する物見櫓と環濠などの遺構が復元され、日本の歴史を語る上で大変重要な遺跡であり歴史公園でもあります。



佐賀の風景 第29弾 『ひがん花の里 江里山の棚田』(小城市) 

江里山地区の棚田は、天山山系南側の中腹 標高250mにあります。棚田は、四季折々に違う顔を見せてくれます。その中でも、棚田の畦に赤い彼岸花がいっせいに咲く季節は、彼岸花が私たちに知らせる花暦であります。

江里山棚田は「日本の棚田百選」「全国農村景観百選」「22世紀に残す佐賀県遺産」にも選ばれ、これからの時代に残していきたい景観です。


佐賀の風景 第30弾 『金立コスモス園』

佐賀市金立町にある金立コスモス園です。 10月の終わりから11月の初旬が見頃です。毎年、きれいなコスモスが訪れる人をやさしく迎えてくれます。天気のいい早朝に出かけられると、風も穏やかで、心を和ませてくれます。